ROSE 画廊【那須高原・路の瀬工房】

 

 

 


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 「やすらぎ求めて路を行き、瀬に座りて、ここかと思う」

山ノ河童

 

ーROSE画廊は君島龍輝作品を専門にご紹介致しますー


1956

TATSUTERU

KIMIJIMA

NEW YORK

 

 

 

 

 

IMPROARTIST

版画家 君島龍輝

 

昭和31年、那須温泉の長命そば「福満寿」に生まれる。

両親は観光地特有の忙しさで朝早くから夜遅くまで働き

兄弟のいない龍輝は幼い頃から一人で遊ぶ事が多かった。

ギターを弾いたり、漫画を描いたり、

特に図画工作は好きで一日中飽きずに過ごしていた。
月日は経ち成人した龍輝はギタリストにあこがれるが挫折、

しかし絵は、家業の食堂を手伝いながらもメニュー等を手描きして楽しんでいた。
店内に展示始めたお品書きなどを欲しいという人が次々に現れて、

蕎麦より先に完売してしまった事が有った。

 

               

      「福満寿の手書きメニュー」


そして、龍輝に転機が訪れる。
店の常連客の一人、銀座の歯科医院の院長から、別荘へのご招待だった。
食事始めの乾杯の後「君は絵描きのプロになりなさい」突然の一言だった。
龍輝はワインを咽るほど驚いた。
しかし、院長は本気だった。
「君の絵は、棟方に通じるものがある目標として精進しなさい。必ず自分を見つける事が出来るだろう」

と、言葉を続けた。そして周りを見渡した龍輝はカルチャーショックを受た。
そこには所狭しと棟方志功の作品が飾られて有った。
そのような折、龍輝が師と仰ぐ知人の死に面した。
師の最後の言葉も「お前は版画を始めなさい」だった。
二人の言葉を心に受け止め、龍輝は那須を後にした。
版画家を目指し27才の遅き旅立ちであった。


画業 1983〜

 

 


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